Yellow Magic Orchestra and more...

第1回 みなさんはご存じだと思いますがYMOの歴史を簡単に



SIDE A 「1978〜1980」

 YMO、イエローマジックオーケストラが結成したのは1978年。メンバーは、細野晴臣(ベース)、高橋ユキヒロ(ドラム)、坂本龍一(キーボード)の3名。最初のコンセプトは、エキゾチックサウンドの代表曲、マーティン・デニーの「ファイヤークラッカー」をディスコ風にアレンジすることであった。細野氏はこの「新しい」バンドのコンセプトとして「頭クラクラ・みぞおちワクワク・下半身モヤモヤ」と表現している。
 11月、1stアルバム「Yellow Magic Orchestra」発売。12月に紀伊国屋ホールにて「アルファ・フュージョンフェスティバル」に参加。この公演を視察したトミー・リピューマはYMOに注目し「私は、この音楽を世界に広めなければならない」と発言。YMOの世界進出がきまる。
 翌1979年2月、1stアルバムのリミックス発売(日本は5月発売)。全体的にミックスをやり直し、ディスコのシンプルな低音部が強調されている(と筆者は思う。)
2ndアルバムの完成直前、L.Aのグリークシアターにて、チューブスの前座としてライブを披露する。後述する「トランス・アトランティックツアー」の前哨戦のようなものであった。このとき、有名な「赤い人民服」を身にまとい、今まで聴いたことのない、シンセサイザーによるロックサウンドに観客は狂喜したという。
2ndアルバム「Solid State Survivor」発売。ヒット曲「Technopolis」「Rydeen」といったいわゆる「ピコピコサウンド」は当時の小学生をも虜にさせたほどであった。
その頃、3ヶ月にわたってヨーロッパ・アメリカを中心とした「トランス・アトランティックツアー」を敢行。海外での評判を受け、日本に凱旋帰国した。
 1980年2月、先のツアーの実況版として「Public Pressure(公的抑圧)」発売。これがオリコン1位に輝くやいなや、空前の「YMOブーム」「テクノブーム」が巻き起こった。
彼らからみれば、予想外の出来事だったかもしれない。しかし同時に、時代に反映した作品も生まれている。25cmという変則レコードも話題になった3rdアルバム「増殖」がそれで、YMOとラジオ「スネークマンショウ」が合体した作品だった。
 YMO人気は高まる一方だった。9月〜11月にかけて、2度目のワールドツアー「From TOKIO to TOKYO」を敢行。全てにおいて「トランス〜」とは比較にならない大規模なツアーで、L.Aのチャップリン・メモリアル・シアターでは日本へ向けて衛星放送でライブを放映する。このツアーの最終地は、東京・武道館で、ここでYMOの「テクノ」は、一つの転換期を迎える。



SIDE B 「1981〜1983、1993、2002」

 1981年、アルバム「BGM」発売。それまでの「ピコピコ」サウンドから一転、重厚なサウンドが全体を包み込んだアルバムは、聴く者を惑わせるものだった。言い換えれば「玄人好み」であった。続いて「テクノデリック」発売。今では当たり前となった「サンプラー(サンプリングマシン)」を世界で初めて取り入れた作品であった。この2枚はYMOのアルバムの中でも「傑作」として今も注目度は高い。
 翌1982年はYMOとしての活動は皆無に等しかった。実はこの時点でYMOは解散したという説もある。しかし翌1983年、突如YMOは変貌する。それまでのテクノスタイルから一変、「浮気なぼくら」で歌謡曲「君に、胸キュン。」を披露。その背景には前年、歌謡曲の作曲・アレンジをやっていたと言う事実が・・・。今でいう「テクノ歌謡」である。
 歌謡曲全体がテクノへ走っていった時代だった。
 この年のYMOはまさに「SERVICE」だった。当時のプロモーションビデオや、TV出演している映像を見るにつけ、彼らがアイドルになったつもりで振る舞っている姿は、楽しそうに見える反面、痛々しくも感じるのだが・・・。
 この年の年末に国内ツアーを敢行。ナチの演壇のようなブースがアップダウンするステージは、観る者、聴く者全てを圧倒し、徹底的な「サーヴィス」をした後、最後の「Rydeen」でステージと共に燃え尽き、事実上、解散(散開)した。

 それから10年後の1993年、突如新聞紙上に「YMO再生」が報じられた。数少ない情報が小出しにされつつも、新しいアルバムが発売されること、東京ドームで2日間公演することが報じられた。
 こうして、YMOは「再生」をする。新作「TECHNODON」は、時代を経てすっかり変質してしまった「テクノ」に、それまでの「YMOらしさ」を加味した新しい音楽として、ファンの過大な期待をもって世にでた作品であった。

 しかしこの再生は実にあっけなく終了する。東京ドーム2日間の公演が終了すると、再び休止状態となる。

 YMOが世に出したレコードは、その後CD化され、また未発表のライブ版もリマスタリングによってCD発売されたが、現在は全て生産中止の状態(2002年9月現在)となってしまった。2003年1月22日、ソニーミュージックハウスより「TECHNODON」を除き再発売された(関連記事>第3回)。

 しかし今年、細野氏、高橋氏両名が、YMO以来となるバンド「SKETCH SHOW」を結成。三度「テクノ」界に帰ってきた。(2002.9.23、2003.1.26改訂)

(第2回へつづく)

<参考文献>
 「LIVE AT KINOKUNIYA-HALL 1978」ライナーノーツ
 「YELLOW MAGIC ORCHESTRA (米国版)」ライナーノーツ
 「YMO GO HOME!」ライナーノーツ
 「COMPACT YMO」(徳間書店)
 ほか

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